ソフトテニス 勝手録

評判の悪いだめオヤジが身勝手に綴ります(^^ゞ (日本ソフトテニス連盟会員/2級審判資格)

2012年03月

引っ越し

こんばんは。

水曜日(28日)、勇弥の引っ越しをしました。
午前0時に家を出発し、午前5時に豊田市内のPAに到着し、
そこでしばし仮眠をとり、午前9時には不動産屋さんから
アパートの鍵を頂いて、早速引っ越しの作業にとりかかりました。

今までは、先輩のお部屋に居候させて頂きましたが、
これからは自分のアパートで生活する事になります

最初、コートから歩いて1分も掛からない、
最も近いアパートを斡旋され、
今回の新入部員の半数近くが
そちらのアパートに入居されるようですが、
勇弥は、その裏手の少し安価なアパートを選びました。
なにせお金が掛かるので・・・


301
引っ越し中。
なかなか、片づきません。


302
今は至れり尽くせりなんですねぇ
新品のエアコン、テレビ、冷蔵庫、
洗濯機、電子レンジなどが付いていて
ベッドも付いていました。

なぜか、小さめの枕が2つ付いていて、
「???」でしたが

午前中に1回目の買い出しに出て、
日用品などを大量に買い込みました。

なにせ、家から持ってきた物はプラスチックボックスと、
衣類やタオル類だけ。

台所用品、風呂用品、清掃用品、
大物はガスバーナー(2連バーナー&焼魚グリル付き)などなど
思いつく物をメモに書いては消し、
なるべく少なくしたつもりなんですけどねぇ

昼過ぎ、木曜日からの高校選抜に出場する後輩達が
中京大のOBでもある顧問の先生に連れられて、
大学のコートで練習する為にいらしたので、
勇弥も一緒に練習するつもりでコートへ行きましたが、
レギュラーの4ペアだけが練習に来たので
人数的にも実力的にも勇弥は練習には入る事が出来ず、
ものの5分程度で「いなくても、いいみたい」という連絡が・・・

しかし、私は引っ越しの手伝いをしてもらっていた母と
昼食を食べようと出掛けたところでしたので、
勇弥から思いもよらぬ連絡を受けてもすぐには引き返せず
さてどうしようかと思っていたところ、
今度はいきなり突風が吹き荒れ、更に     
どうやら、神様はよほど勇弥と後輩達を一緒にさせたくないようです

再び勇弥から連絡が入り、「もう、みんな帰った」との事でしたので、
勇弥を迎えに行き、それから昼食を済ませ、足りないものを買い出しに行きました

午後6時過ぎになっても、部屋の中はなかなか片付きませんが、
母を新幹線で帰す為に近くの駅まで送り、
その駅の近くのスーパーで、こんどは食料品を買い込みました。

価格は、富里のスーパーと同じくらいでしたが、
調味料などなど、全て買いそろえたので、これまた大荷物になってしまいました

午後8時過ぎに、今まで居候をしていた先輩のアパートへ行き、
預かって頂いていた布団や衣類、靴などを引き取りに行き、
それから、もう少し片付けを手伝いました。

午後10時に作業終了。 勇弥と一緒に豊田市街まで出かけ、
お客が殆ど入っていない中華料理店(台湾料理)へ恐る恐る入りましたが、
これが当たりで、美味しくて安くて量がありました

で、私は午後11時に勇弥のアパートを後にして、
東名高速をひた走りに走り、途中で一休みしながらも
なんとか午前3時30分頃に無事帰宅。
当然のことながら、バタンキューでした

昨日(木曜日)は仕事で忙しく、
今日になって勇弥と少し電話で話しましたが、
なんと、スマホでレシピのホームページを見て、
オムライスに挑戦してみたという事でした

勇弥曰く、クレープみたいになったとの事で、
味は「まぁまぁ」という事でしたが、
これからは、色々と体験して、たくさん失敗して、
そしてその中から自分のものにしていくんだろうなぁ。

勇弥と電話したのは午後8時30分頃でしたが、
「これからコートに練習に行くから」といって、電話は短く切れました。

1日の入学式を終えるまでは、新入生は部活には参加出来ないものの、
部活が終わった後は自主練としてコートを使用するのは自由との事であり、
それで、そんな時間にコートへ行くという事らしいのですが、
夜の8時過ぎに、ちょっとコートへ行ってくるといって
練習が出来るのですから、水を得た魚ですね

週末記 & 着用基準

こんばんは。

昨日は思っていたより雨の時間が長引き、
雨が上がったのが午後5時頃でした。

午後7時から公営コートをとっていたので、
もしも雨が止まなかったらどうしようと思っていたのですが、
なんとかセーフ

101
駿&祥吾、それに寿将の中学生3人と一緒に軽く汗を流しました。
駿は勇弥にプレースタイルが似ているので、
なにか参考になってくれればいいなぁと思います。

勇弥も少しばかりアドバイスしていましたが、
ウチの中学生は練習量が足りないのが問題。
勇弥&雄大は中学生の時、この3月頃から毎週末、
近隣のコートに行っては2人だけで一日中、練習していたものです。

102
今日も、朝から公営コートが取れたので、
お昼までの3時間ほど、汗を流しました

今日は駿&祥吾と勇弥の3人での練習。
勇弥はいつもの通り、ウォーク、ジョグ、ランとピッチを上げていき、
ストレッチと準備運動を入念にしていました。

3人なのでゲーム練習は出来ませんでしたが、
3角乱打やシングルス戦などをしました

と、ここまでは悪い事はなかったのですが、
練習の途中で勇弥が腹痛を訴えはじめ、
帰宅する頃には、身体のだるさも出てきたようです

午後からは、少し離れたコートへ出掛けて、
もう一人の駿と合流する事も考えていたのですが、
帰宅して熱を測ると37度ほどありました。

そういえば、愛知から帰宅した時に、やけに鼻声だったのですが、
勇弥の話しでは、高知合宿の後半は、
風邪を引いたような症状だったとの事でした

私も以前、正月休みやお盆休みに入ると
発熱する事が数年続いた事がありましたが、
やはり気持ちが張っている時は、やり過ごせる風邪も、
仕事が休みに入ると、身体も休みたがるんですね。

身体は正直なんだなぁと思っていましたが、
勇弥もあまり身体が強い方ではないので、
帰宅した事で疲れが出たのかも知れません。

ということで、午後は家でぐったりしていて、
珍しくジムにも行きませんでしたが、
夜には多少回復したのか、
家の近くをランニングして、リビングを簡易ジムにしていました

明日も、どこかで練習するつもりでいるのかも知れませんが、
風邪とか感染するような胃腸炎だったらいけませんので、
大事を控えている後輩のところへは行けないのかな


さて、話しはガラッと変わりますが、
日本ソフトテニス連盟のホームページに
ユニフォーム等の着用基準に関する改訂内容が掲載されました。

特に、勇弥が中京大のソフトテニス部に入部する際に、
シューズは今までのものは使用出来ないものもあると言われ、
基準に適したというシューズを新調したのですが、
その基準というのがメーカーのロゴやメーカー名の表示が
片足の靴に2カ所以内という基準が出来たとの事でした。

中京大のソフトテニス部では、「yy」のロゴで有名な
そのメーカーの用具を使う事で統一されていますが、
このメーカーのシューズは「yy」マークが甲側に付いていて、
それとは反対側か踵の部分にもロゴかメーカー名が付いている事が多く、
これで、もう2カ所という事になります。

そのうえ、いわゆるベロの部分にもメーカー名が付いていると、
これは今年度から公式戦では使用できないシューズという事になるんですね

ですので、「yy」メーカーの今年度モデルのシューズは、
ベロの部分に付いてたメーカー名を製品のモデル名に代えているようです。

逆に、ベロの部分にメーカー名が付いている旧モデルは、
半額くらいの値引きで売られていたりしますので、
ウチでも練習用として2足ほど購入しました

勇弥が中学生の時、ほぼ黒の靴紐だったのですが、
実際にはメーカーは濃紺という設定であり、
県大会の開会式が終わった直後に、会場の役員の先生から、
この靴紐は黒ではないから、規定の白か黒に取り替えないなら
試合には出場させないと言われ、あわてて近くのホームセンターで
白の靴紐を買ってきたのですが、
1試合目には間に合わなかったので、先生のシューズの靴紐をお借りして
なんとか出場する事が出来たという事がありました

今なら、靴紐のスペアを用意しておくのは当たり前ですが、
当時は親子とも経験・知識不足で、
勇弥には中学3年生になるまで、
オールコート用のシューズを与えていました

頑張って頑張ってようやく試合に勝ったと思ったら、
実は今年度から基準外となったシューズを履いていた為に、
残念ながら勝利を取り消されてしまった。

な~んて事にならないようにしないと
こういう基準外のゲームシャツやシューズの使用に関しては、
役員の先生もある程度、狙いを絞ってくるので、
中学時代の勇弥もそうでしたが、
「お尋ね者」の祥吾は気をつけないといけません

或いは、対戦相手からクレームを付けられて、嫌な思いをしないよう、
ルールをしっかり頭にたたき込んで、
基準を守ったユニフォームやシューズを使用する必要がありますね

帰 省

こんばんは。

本日未明、いや早朝、
名古屋からの夜行バスで勇弥が戻ってきました

夜行バスですと、名古屋から東京までの所要時間は約7時間で
道路事情によっては、うーんと時間がかかったりするようですが、
新幹線の半額以下ですから、よほど時間に切羽詰まらない限り、
これからの行き来は夜行バスが中心になりそうです

千葉から一緒に中京大学へ進み、同じソフトテニス部の駿も、
勇弥と同じバスで帰ってきて、駿のお母様が早朝の東京駅まで
二人を迎えに行ってくれました

なにせ一人親なので、なかなかサポートがうまく出来ず、
本当に助かりました。 ありがとうございます

次にこちらを出発するのが28日のそれこそ未明。
今度は現地のアパートに入居する事になり、
今度帰省するのは夏休みという事になりそうです。

帰ってき一眠りした後、早速ジムへ行きました。
中京大学では、学生になれば学内のジムが使えるそうですが、
まだ正式に入学していないので、
この3週間はジムには通えなかったそうです。

あとは、当然のことながら明日からコートに出て練習したがるとは思いますが、
卒業した高校は、現在おこなわれている全国私学大会に出場しており、
さらに29日から始まる全国選抜大会へ向けてヒートアップしているようです。

高校野球で言えば春の甲子園ですからねぇ。
技術的にも精神的にも後輩より劣る勇弥が顔を出すような雰囲気ではなく、
ましてやコートに入るような事をすれば、ただ事では済まないだろうなぁ

もう、夏休みまでは帰ってきませんし、
せっかく帰省しているので、顧問の先生にはご挨拶に行かせようと思いますが
練習場所は他に探さなくてはいけませんね ぇ。
とりあえず、夜の公営コートで兄弟練習ならなんとかなりそうかな

さて、その弟の祥吾は、火曜日の春分の日に練習試合でした。
遠征先は全中も制した事のある名門T中学校。

002
よく整備されたクレーコートが5面あり、
近隣に公営の砂入り人工芝コートもあります。

駿&祥吾の1合目は1年生後衛・2年生前衛のペアが相手。
郡の新人戦ではファイナル勝ちでしたが、
11月の黎明杯ではファイナル負け。

1-④
④-1
④-1
⑤-3

1G目は駿と祥吾でダブルフォルト2発。
その後も、これといったプレーはなく、
4G目の3-1からレシーブミス2発は、本来なら命取り。
同じミスでも、試合を終わらせる気迫で打ったならいいのですが・・・・

2試合目は、2年生後衛と卒業したばかりの3年生前衛が相手。

④-0
6-⑧
0-④
3-⑤

うーん、2G目の3-1から追いつかれたり、
4G目も3-0から追いつかれて逆転されていますが、
そのきっかけはミスなんですねぇ。

ミスするなと意識しても、ミスは出るもの。
どうやって点を取るかのプランが無いから、
相手の集中力が上がったところでやられてしまうという感じです。

3試合目は、2年生後衛と2年生前衛のペア。
元気が良くて、前衛の動きが良く、
落としボレーの決定率が高いんですねぇ。

4-⑥
1-④
1-④


まるで試合にならず、防戦一方という展開。
祥吾バック側のボレーが安定せず、
相手ペアより先にミスしてしまうので、どうにもなりません。

4試合目は、1試合目と同じ相手。

1-④
2-④
3-⑤

この試合は、ちょっと駿のストロークに乱れが出てしまい、
そのうえ祥吾がレシーブアタックに無反応
本番では、こちらの試合展開になりそうです。

5試合目と6試合目の相手については分かりませんでした。

⑤-3
⑦-5
④-2


⑦-5
⑥-4
④-2

という事で、2試合とも勝ちましたが、
祥吾は未だ課題の動きが出来ず、うーん困ったもんです。

7試合目は、1年生後衛と2年生前衛のペア。

3-⑤
⑤-3
2-④
④-2
2-⑦

連続失点、それもファイナルなどは7連続失点。
失点といっても、そのうち1点は相手のナイスプレーでしたが、
4点は明らかなミスですので、これでは話しになりません。

駿のストロークが今ひとつ安定していないのも、
祥吾のネットプレーが安定していないのも、
練習不足以外の何者でもないと思います。

これからは、日が長くなりますし、
霜でコートが使えないという事も少なくなるでしょうから、
気持ちを入れて練習してほしいものです

遠報&動画

こんばんは。

昨日(19日)、勇弥から   があって、少しだけですけど近況が判りました。
い、いや、近況というほどではないな

春合宿に入ってすぐ、恒例の「よさこい高知国体記念ソフトテニス大会」に参加。
この試合は団体戦でおこなわれるそうなのですが、
中京大は6チームほどのエントリーで、
勇弥は当然のことながら、もっとも下位のチームだったようです。

幸い? 余り1にはならず、同じ新入生の前衛がペアを組んでくれたようです。
予選リーグで、早稲田大学の下位チームとの対戦に敗れ、リーグ2位で終了。
勇弥も早稲田戦では敗れてしまったとの事でした。

これが日曜日の事で、月曜日は午前中のみ練習試合をしたそうです。
ここでもペアは同じで、今回も早稲田大のペアに敗れたそうです

相手ペアの名前は分からないという事でしたが、
いわゆるビッグネームではないとの事。
こちらも最下位チームの一員なのですから、
相手も同じだったと思われます。

勇弥は非力で決定力のあるタイプではないですから、
組んでくれた前衛は、さぞきつかったと思います

組んでくれた前衛の選手ですが、高校の時は総体で2年連続で県8本。
てっきりインハイ出場かと思っていたのですが、
当該県では6本が出場枠なので、残念ながら・・・・

とはいえ、勇弥は県総体で32本が最高ですから、
彼とはまったくもって釣り合わない実績ですが、
新入生の前衛はレベルが高いようなので、勇弥とのペアになってしまったようですね

ちなみに、新入部員の後衛で、選抜・ハイジャパ・インハイの
いずれにも出場した事がないのは勇弥だけ
つ、ついていけるのか

何人かの方に言われたのですが、
これから先は、実績重視の世界になっていくので、
例えば、ペアを決めるにしても、その判断基準は実績重視となり、
本人同士がペアを組みたいと思っても、簡単にはいかないみたいです。

勇弥と組んでくれた前衛選手も、組みたい後衛選手がいたんでしょうけど、
グッと我慢して実績を残すしかありませんね。

4月に入ったら、千葉県で試合があるようなので、
その時も彼とペアを組んで頂けるのかどうか・・・・
余り1の危険は、当分の間、消えませんね

もし、そうなっても、裏方&雑用の仕事を
精一杯やってほしいものです。

さて、また少し動画をUPします。
これは、勇弥&雄大が3年生の8月の試合です。

支部対抗戦 決勝
http://www.youtube.com/watch?v=hfbPRiFCEO8

印旛郡選手権 準決勝
http://www.youtube.com/watch?v=huqEdPOI8Ls

印旛郡選手権 決勝
http://www.youtube.com/watch?v=stJ6g1LDrOQ



春合宿

こんばんは

3月も半ばに差し掛かり、
勇弥が大学の練習に参加してから
そろそろ2週間になろうとしています。


その間、昨日の地震の後に1度だけ  電話がありました
テレビでも観ていたのか、 地震から30分後くらいでした。


前回の記事に書いた通り、幸いにも今回も被害無し。
勇弥にも心配しなくて良いよと伝えましたが、
これからは、電話がくる度に
事故やら病気ではないかとドキドキするのかな
便りが無いのが無事息災の証しなんでしょうかねぇ。


中京大ソフトテニス部は明日から高知県高知市で春合宿。
22日まで6泊7日の合宿で、OBの高校顧問の先生によると、
現地で毎年行われている大会に出場するようです

その大会は団体戦形式でおこなわれ、
地元の高校生が中心になるようですが、
昨年の学生王者戦の覇者、早稲田大学も毎年参加されていて、
Aチームを筆頭にFチームとかGチームまであるそうですが、
下位のチームでも勝つのは至難という事です


ただ、天気予報を見ると、今週末は     
なので、試合はどうでしょうか・・・・

それに、今回だけでウチの辺りでは一軒家も借りられそうな費用。
ま、まさか夏合宿、秋合宿、冬合宿って事はないだろうな

勇弥と電話で少し話したところでは、
ボール拾いや雑用など新1年生の仕事は多く、
楽しくやれている中に厳しさもあって、
勇弥には合っているようです

まぁ、高校での実績はありませんし、
1年間は出場できる試合も少ないでしょうから、
焦らずに、むしろ好機と考えて身体をじっくりと鍛えて欲しいですね。



祥吾の方はというと、
お天気に嫌われるなどしてず中学校の練習量は増えず、
本人も上手くなりたいとか、強くなりたいという強い気持ちは少なく、
空いた時間は友達とテレビゲームをやるのに夢中です



週に1回のスクールでも、なかなか変化はみられず、
毎度同じ課題を与えていますが、全くやろうとせず

ただ、本人に聞くと上手くなりたいし、強くなりたいと言う。
何が起爆剤になるのかなぁ。
少なくとも、私の言葉ではないみたいですね

え、

あぁ、思い出した。
この感じ。

地面の下で出来の悪いモーターが
激しく動いている感じ。


ブルブル、ブルブルって感じで、
小刻みに強く揺れる感じ。
やだ、やだ 。

それにしても、揺れ始めてから
キューキューって鳴り始めたぞ。

とりあえず、記事をUPします。

あの日から366日

こんばんは。

今日は3月11日。
昨年の今日、未曾有の大地震が東北・関東を襲い、
信じられない大津波が太平洋岸を襲い、
そして、破壊された原子力発電所の放射能が人々を苦しめています。

あの日、私は自宅内の事務所で書類を作っていましたが、
最初はグラグラという弱い揺れだったのに、すぐに強い揺れに変わり、
一旦下火になったかと思えば再び強い揺れになり、
生まれて初めて地震で家から出ました。

もしかすると、家が倒壊するかと思い、
庭に飼っている犬を放さなくてはと思ったのですが、
庭にでてしばらくフェンスにしがみついていたら、
ようやく揺れが収まりましたが、
こんなに長い時間揺れた地震は初めてでした。

すぐに部屋に戻って、テレビをつけると震源は宮城県沖で、
宮城県内では震度7が観測されているとの事。

私は、すぐにこのブログで地震があった事を書きましたが、
書いているうちに2度目の大きな地震がきました。
ブログアップの時刻は14:53。

2回目の地震も1回目と同じような揺れ方でしたので、
こんどは躊躇なく自宅から出たところ、
ご近所の方も家から出てきていました。

2回目の地震は、1回目の地震ほどではなかったものの、
それでも人生では未経験の大きさの地震でしたが、
ウチはずぼらな備えだったのに、幸いにも被害はなし。
落ちた物もわずかで、何かが壊れたりはしませんでした。

1回目がマグニチュード9.0。
2回目がマグニチュード7.4。
どちらも、大地震ですが、1回目のは世界規模でも
記録的な大地震だという事は、後で分かりました。

2回目の地震が来る前だったのか後だったのかは覚えていませんが、
被災地、特に沿岸部の方にとっては、この後、
考えもしない巨大津波に遭われてしまい・・・・

亡くなった方       
北海道    1人   
青森県    3人
山形県    3人
岩手県 4669人
宮城県 9471人
福島県 1933人
茨城県   24人
千葉県   20人
栃木県    4人
群馬県    1人
東京都    7人
神奈川県   4人
(上記の人数は2月14日現在の人数です)

亡くなった方が、16,140人で、
今もって行方の分からない方が3,123人。

市町村別に亡くなった方の数を見ると、

宮城県石巻市    3182人  (行方不明557人)
岩手県陸前高田市 1555人  (行方不明291人)
宮城県東松山市   1047人 (行方不明  66人)
宮城県気仙沼市   1030人 (行方不明338人)
宮城県名取市     911人 (行方不明 55人)
岩手県釜石市     888人 (行方不明159人)
岩手県大槌町     802人 (行方不明484人)
宮城県仙台市     704人 (行方不明 26人)
宮城県山元町     671人 (行方不明 19人)
福島県南相馬市    631人 (行方不明  7人)
岩手県山田町     604人 (行方不明156人)
宮城県女川町     575人 (行方不明347人)
宮城県南三陸町    565人 (行方不明310人)
福島県相馬市     457人 (行方不明  1人)
岩手県宮古市     420人 (行方不明111人)
岩手県大船渡市    339人 (行方不明 86人)
福島県いわき市    310人 (行方不明 37人)

犠牲者の人数が300名以上の市町村で、こんなにもある。
すべて海沿いの町だから、やはり津波の被害が甚大なんですね。

それに、行方の分からない方が多い地域は、
なにか津波の状態なり地理的なものが影響しているのかな。
少しでも早く見つかって、家族の元へ帰れるといいんだけど・・・・

亡くなった方にも家族がいたでしょうから、
本当につらいお別れをされた方がこんなにもたくさん・・・・
考えるだけで、涙が出てきますね。

まだ、1年そこらでは心の傷は癒えないでしょうけど、
テレビを観ていると、自分を奮い立たせて
前向きに生きていく人がなんと多いことか驚くばかりです。

この時代に生きた一人として、私には一体何が出来るのか。
勇弥や祥吾は、どんな関わりを持っていくのかな。

それとも、全く無関係に生きていくのかもしれませんが、
人の痛みに無関心な生き方だけはしないでほしい。

苦しんでいる人の話を、じっくりと聞く耳を持ってほしい。
「私の方が・・・」 「うちなんか・・・」と
例え実際にそうであっても、
自分はもっと苦労しているというような言い方をする大人には、
どうかならないでほしいと願うばかりです。

ソフトテニスの話しとは無関係の記事になってしまい、
スミマセン

近況&動画

おはようございます。

どうやら、勇弥の方はだいぶ慣れてきたみたいで、
楽しく、仲良くやっているようです

新入部員は、新2年生の先輩の部屋に居候し、
食事は朝・昼・晩と先輩が作ってくれているそうです

勇弥の面倒を見てくれているのは、
香川県の超名門校出身の前衛の先輩です。

中京大学のソフト部員は、殆どの方がアパート住まい。
それも、コートのすぐ近くに学生専用?のアパートがあって、
今の先輩のアパートからですと、
コートまで歩いて1分。 部屋からコートはよく見えます

今度、勇弥が住むことになるアパートも、
コートから歩いて1分か2分程度。
走れば、1分もかからないで着くでしょう

コートは、男女併せて3面。
このコートはソフトテニス部専用で、
キャンパス内には、その他にもテニスコートがあるようです。

ソフトテニス部のコートもキャンパス内にありますので、
毎日、歩いて数分で通学出来るという
夢のような?環境ですね

さて、また少し動画をアップします。
勇弥&雄大が2年生の時ですね。

22年 第9回きらめき大会 準決勝
http://www.youtube.com/watch?v=ru4dUo9efCY

22年 新人戦 準決勝
http://www.youtube.com/watch?v=gDrwXu4GJMs

22年 新人戦 決勝
http://www.youtube.com/watch?v=vKa33lzpp5E


近いうちに、3年生の時の試合もアップしたいと思います

競技・記録

おはようございます

勇弥は土曜日(3日)に進学先の中京大学へ行き、
いよいよ、大学生活へ突入します

001
土曜日は、公式の練習はOFFだったのですが、
到着早々、コートで打たせて頂きました

千葉県からは勇弥の他にもう一人、
駿が入学(する予定。 二人とも問題起こすなよ)で、
さっそく、二人で乱打したりしていました

同期生は、現在のところ二人を含めて11名のようです。
南の方から数えると、

広島県 2名
大阪府 1名
岐阜県 2名
愛知県 2名
富山県 1名
千葉県 2名
北海道 1名

ネットで調べてみると、ほぼ全員が全国大会へ出場しているようです。
というか、出場していないのは、勇弥くらいかも知れません

ちなみに、11名は後衛6名に前衛5名。
おおっ 後衛の余り1は決まったな
勇弥、シングルス頑張れ    

さて、私のようなソフトテニスのファンは少なからずいるでしょうし、
子供がやっていれば、子供の競技成績のみならず、
同世代にはどんな選手がいるのかとか、
どこの学校やクラブが強いのだろうとかが気になると思います。

ほぼ毎回、子供の試合について行くような親馬鹿(俺かぁ)でも、
競技の結果を全て記録する事は難しいです。

そこで、ネットで試合結果や過去の記録などを調べるのですが、
試合結果がアップされなかったり、アップされても、
ベスト4とか優勝者と準優勝者だけだったりします。

以前から気になっている事があって、
① フルネーム表記が少ない。
② 団体戦の各試合の記載が少ない。
③ 記録掲載の統一性     などです。

①は、フルネーム表記が多くなってきましたけど、
例えば、高橋・鈴木では、どこの誰だかわかりにくいですし、
実際に河西・佐藤 VS 佐藤・佐藤 ってのをやった事がありますが、
これじゃ、誰が誰なんだか判りませんよね

例えば、伊藤、山本、高橋と言われてもピンときませんが、
その間に、西園寺、桂、大隈と入れれば歴代首相の名前だと判るように、
名字だけの表記では、認識性に不公平が生じる可能性があると思いますし、
同姓というだけで誤解されたりする可能性もあります。
高校生ですと、硬式テニスでは学年まで表記されている事が多いですね。

ソフトテニスが好きだという人でも、
昨年の天皇杯や皇后杯の賜杯選手や決勝戦の対戦相手を
フルネームで言える人は少ないと思いますが、
サッカーや野球とは違って個人競技のテニスでは、
地方大会でも、フルネーム表記が当たり前になってほしいと思います。

②は、トーナメント表やリーグ表だけしか
公表されない事がソフトテニスでは主流ですが、
硬式テニスでは、団体戦でも殆どの場合、
誰が(どのペアが)どういった対戦だったのかが判るように
トーナメント表とは別に、対戦詳細もネットにアップしています。(全てではありません)

ソフトテニスの醍醐味は団体戦だと思っている私としては、、
単純に「2-1」というような記載だけでは物足りないですし、
団体戦に出場した事自体が栄誉なのですから、
もう少し詳しく成績を記載してほしいと思うんですけど

③は、例えば上記の①と②について、
フルネーム表記で、団体戦の詳細結果も掲載されている場合もあれば、
まったくそうでない場合もあったり、
同じ大会なのに、開催地域によって掲載内容に違いがあり、
全国大会レベルはほぼ満足のいく掲載をして頂けていますが、
県大会レベルでは、掲載方法がわかりにくいものだったり、
そもそも掲載されないというケースも見受けられ、
高体連や大学連盟などはHPすら無い地区・地域もあります。

ご参考までに、硬式テニスの日本連盟HPは
http://www.jta-tennis.or.jp/index.html

硬式テニスの千葉県連盟HPは
http://www004.upp.so-net.ne.jp/cta/

硬式テニスの千葉県高体連専門部HPは
http://www.chiba-hs-tennis.com/


個人情報の問題もあるようなので、難しい面もあると思いますが、
スポーツを発展させようと思うなら、競技結果の公表なんてのは基本中の基本で、
そういったデータが見られるから、競技者はもとより、
興味を持っているファンに末永く愛され、ご協力を得られるように思います。

公平性という面からすれば、スポーツは、ことに競技では、
出場の可否からして公平ではないケースがあり、
私も息子を中学・高校とソフトテニス競技に参加させてきましたが、
同じように、同じ時間、同じ練習をして、同じ金銭的負担をしながら、
団体戦のメンバーに選ばれたり選ばれなかったりしますし、
だからといって、年齢や学年の順に試合に出場させるのはどうなんでしょう

或いは、負け試合や団体戦メンバーに選ばれていない事を
「誰かに知られたら恥ずかしい」と感じたり、
どの学校へ進学したのかを知られたくない等の理由から、
試合の結果も出来る限り個人名を非公開にしてほしい、
そういったご意見もあると思います。
順位をつけない運動会の話しに似ているなぁ

おっと、またまた、だめオヤジが脱線してしまいましたが
ソフトテニスマガジンを見ているウチの子供は、
巻末の各地の記録欄も食い入るように見ていますし、
競技者やファンの関心の高い部分を手厚く対処することで、
競技全体の発展に寄与するという事はないんでしょうかねぇ。

ネックになるのは、人手とお金なんだと思います。
またまた例え話ですが、中学や高校の大会記録の整理などは、
各校から1~2人くらいの部員がお手伝いしたり、
部員がダメなら、ボランティアを募ったらどうでしょうか

今の時代、中学生だってパソコンは出来ますし、
中学生でもパソコンが出来るようになるべき時代ですので、
主任の先生がチェックし終えたスコア表を、
次々にパソコンに打ち込んでいく作業や、
会場内のトーナメント表に書き込んでいく作業は
先生が行わなければならないとは思いません。

集計が大変なら、スコア表とは別にマークシートなどを作り、
それを読み取らせるという事も考えられますが、
こいつはお金がかかりそうだなぁ

それに、そういった大会運営や競技運営に競技者自身や、
その関係者がお手伝いしたりする事で、
体験して初めて判る事も多いと思うんです。

それで、競技以外の部分に興味を持ち、
ソフトテニス競技に携わっていきたいという人材が増え、
結果的に競技人口も増えて、盛んになっていくという事はないんでしょうかねぇ。

私は狂信的なファンの部類に入ってしまうのでしょうけど
自分なりにスコア表やら対戦表などを作成し、
勇弥が高校現役の時は、練習試合でも出来る限り結果を集め、
全員のほぼ全試合の結果を頂いていましたので、
部員や親御さんの誰から聞かれても、試合結果は全て回答できましたし、
ビデオ撮影は全試合というわけにはいきませんでしたけど、
収録した試合結果は必ずDVDにプリントしてお渡ししていました。

ですので、公式戦でも練習試合でも、
私が記録、記録とコートの脇で言うものですから、
部員達はのんびりする間もなく、私が作った対戦表に
自分たちの試合結果を書き込んでくれました。

負け試合で結果を書きたくない事もあったでしょうし、
特に対戦相手の名前を必ず書いてもらったので、
と~っても面倒だったと思います

記録を残した事によって、どんな効果があったのかはハッキリしませんが、
今回、勇弥と一緒に卒業するメンバーの殆どが
今後も大学の体育会やクラブチームでソフトテニス競技を続けると聞いたとき、
息子を助けてくれたソフトテニスにほんの僅かですが恩返し出来たと思いました
ちなみに、インターハイに出場した選手は一人もいません。

今からでも遅くありませんので、新しい記録はもとより、
古い記録もどんどん掘り起こしてほしいですし、
そうなれば、古いトーナメント表を見て 「お父さんはここ」とか、
「この○○が結婚する前のお母さん」なんて話しを
親子で出来るようになって、競技に対する気持ちも変わり、
ソフトテニス人口が高校生で激減するなんて事も
少しは変わってくるのではないかと愚考する次第でチュ 

巣立ちの時、来る。

こんにちは

昨日は、勇弥や雄大達の卒業式でした。
私は仕事で残念ながら卒業式は見られませんでした
が、感極まって大泣きするタイプなので、
周囲にご迷惑をおかけせずに済んだので、良かったのかも知れません

中学3年生の5月頃から今の高校にお邪魔するようになり、
その年の8月の関東大会で中学競技生活を終えた後も、
殆ど毎日のように高校にお邪魔して練習させていただきました


まだ、進路もハッキリ決めていないというのに
練習試合にも数多く参加させていただき、
秋の新人戦では他校の先生に「なんで出ていないの?」と言われ、
「まだ中三です」とお答えして大笑いなんて事もありました

その後、勇弥も雄大も今の高校へ進むことを決めましたが、
入学試験の2週間ほど前に妻が短い人生の幕を閉じて旅立ってしまい、
母親を亡くした勇弥は一体どうなるんだろうと心配していましたが、
大好きなソフトテニスが勇弥をまっすぐに導いてくれました。


ちょうど、顧問の先生が多忙を極めていたので、
勇弥&雄大が入学するのと同時に新しく若い先生を招聘されるとお聞きし、
そして、県内では伝説の怪物?、豪快なソフトテニスをされる先生が着任され、
一緒に入学した仲間達と共に厳しい練習に汗を流しましたが、
勇弥にとって本当に充実した日々だったと思います

ソフトテニスをしていく上で、1つの大きなテーマがあって、
それは、試合の相手が「また、やろう」と言ってくれるような、
多くの人に応援してもらえるようなプレーヤーになろうという事でしたが、
ソフトテニスをやればやるほど、多くの人に巡り会ってお声をかけて頂き、
そして励まされ、助けて頂きました。


選手としては、全国大会へ出場するようなレベルにはなれませんでしたけど、
堅物とも思える勇弥が多くの方の応援やご声援に包まれ、
たくさんのテニス仲間が出来たのを見ると、
戦績以上の大切な物を得る事が出来たと思います

とはいっても、スポーツは勝負事でもありますので、
勝ち負けはもとより、ペアリングやチーム内での立場などの問題は避けて通れず、
時には厳しいご意見を頂く事もありましたが、それはこれからも同じですし、
社会へ出れば理不尽な事にも直面するでしょうから、
そういった事をバネにしてジャンプアップできるようになってほしいなぁ。


勉強の方は、中学時代の5教科で150点  だった男が、
ソフトテニスをしっかりやりたいが為に予想移以上にやってくれ、
普通コース(例えると特進コース・受験コース・普通コースの3コースあります)ですが
とうとう今回の学年末で1番となり、
11科目中、物理Ⅰとリーディング「4」でしたが、そのほかは「5」

「2」ばっかりの中学校の通信簿とは大違いで、
大学なんて爪の先ほども考えていなかったのですが・・・・


勇弥は、顧問の先生の母校でもある中京大学へと舵を切りました。
天気晴朗ナレド浪髙シ(古っ)ではないですけど、
晴天だけでなく、嵐に遭ったり座礁したりするかも知れませんが、
なんとか乗り切って力をつけ、社会の大海原への航海に出てほしいものです。

勇弥&雄大の試合のビデオはたくさんあるのですが、
試合中はスコアをつけていたり、合間は移動していたりで、
実は写真  はあまり撮っていないんですが、
少ない写真でフォトムービーなるものを作ってみました

00pm
限定制作? ってわけではありませんが、
何人かの方にはお渡ししました。
どうでした? なかなかでしょ


これも、YOU TUBE にアップしてみたのでご覧ください。
今まで、たくさんのご声援を頂き、心から感謝しています。
ありがとうございました。

そして、これからもよろしくお願いします

(フォトムービー)
http://www.youtube.com/watch?v=Z21UlrARWJE

月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード